通常の寺院墓地では、その寺院の檀家となる事が墓地確保の条件となりますが、当霊園は宗派不問,護持会費(檀家費用)不要と、広く門戸を開放いただいております。また、堺区の中心地にありながら、最大30台駐車可能の大型駐車場も完備され、さらには完全バリアフリーですので、坂道や階段が一切無く、参道も広く整備されておりますので車イスの方でも悠々とお参りできます。墓地内はすべて新設ですので、まだ誰も入った事の無いお土で気持ちよくお祀りいただけます。
妙國寺には、大蘇鉄をはじめ、千利休寄贈の手水鉢、豊臣秀吉の朱印状、伊達政宗の真蹟、加藤清正ゆかりの刀剣、大正天皇御行幸の際に用意された菊の御紋入りの玉座、その他、歴史的文献や遺品などが数多く遺されております。中でも大蘇鉄は、堺市で唯一の国指定天然記念物であり、隆々と聳えるその姿を一目見たいと全国から多くの観光客が訪れます。この大蘇鉄は、織田信長公が心酔し安土に移植しましたが、堺の妙國寺に帰りたいと泣いたので、再び元の場所に帰されたと伝えられております。また徳川家康公は本能寺の変や大坂夏の陣の際にも妙國寺に停泊していたと伝えられております。また近いところでは、1945年7月、堺は大空襲に遭い、妙國寺も本堂や三重の塔など伽藍はほぼ焼失しましたが、この大蘇鉄だけは燃えずに残った、といわれています。
徳川家康公が妙國寺の蘇鉄(そてつ)を見て詠んだ歌。
「妙なりや
國にさかゆる そてつぎの
ききしにまさる 一もとのかぶ」
「題名 故郷」 堺の街の妙國寺…
の一文から始まり、当時の堺の風情がみずみずしく表現されています…。
お車でのお参りも安心の大型駐車場を完備しております。
『堺事件』
慶応4年2月15日、フランス軍艦より水兵100名が堺に上陸し市内を闊歩し婦女子を追い回すなどの妨若無人の振舞いに堺警備隊の土佐藩士が応対し、互いに言葉も通じず、両者銃撃応酬の末、フランス兵13名の死傷者を出すにいたりましたが、本事件は国際問題となり、フランス側に賠償金の支払いと関係者の切腹を求められ、妙國寺境内において11名が自刃しました。
初めてのお客様は、現地区画図やパンフレット、手続きの書類などをお渡ししますので、お気軽にお立ち寄りください。
水汲み場・ゴミ箱、新設しております。
霊園スタッフが、堺の墓地事情や空き状況をご説明させていただきます。
仏事のお悩みやお家のご事情等なんなりとお気軽にご相談下さい。最適な方法をアドバイスさせていただきます。